おかえり!マルちゃん!(『レコメン!』2017.6.14)

2016年3月24日。「おやすみなさい」と最後に残して、マルちゃんこと丸山隆平が、約3年勤めていた『レコメン!』のパーソナリティーを卒業した。

マルちゃんの言う「また遊びにくる」という言葉に対して、私は「本当に帰ってきてくれる日が来るだろうか……」と、どうしても信じることができなかった。マルちゃんは最後まで何も語らなかったけど、あの当時の日々更新されるブログや諸々な経緯を推察するに、ラジオの降板を申し入れたのはマルちゃんからだったのだろうと私は思っている。それほどマルちゃんの『マクベス』へ掛ける想いは本気だったんだろうし、あれもこれも同時進行できないから、と潔く一方を手放す決断したのは、勇気ある決断だったと思う。
それでも、厳しい事務所のことである。もしかしたら事務所のペナルティがあるかもしれない、などと考えると、とても彼が今後レコメンに帰ってこれるとは思えなかった。
「また帰ってくる」と言って、帰ってこなかった人たちを私はたくさん知っている。そんな人たちを「嘘つきだ」と糾弾しようだなんて思わない。彼らは本気で「帰ってくる」と言ってくれたと思っているし、帰ってきたくてもいろんな条件が整わないと帰ってこれないことも知っている。
でも、記憶の中からラジオから流れる声が薄れていくのは、悲しい。
いつまでも待っている「ただいま」を聞けないのは、すごく悲しい。
だから、マルちゃんが『レコメン!』を卒業したのは、本当に悲しかった。

そんな中、2016年8月の名古屋でのツアーの後、ひょっこりマルちゃんはレコメンに遊びにきてくれた。
叶わないものだと勝手に絶望していた私に「そんなわけない」とマルちゃんは「ただいま」の声を聞かせてくれた。
いつもどおり、まるで先週もパーソナリティだったかのように、騒いで笑って「またね」と帰っていった。

そして、今回また帰ってきてくれたマルちゃん。
後輩のジャニーズWESTを振り回しながら、楽しそうに自由に振る舞うその姿は、本当にレコメンという場を愛してくれていて、「ただいま」を大切にしてくれているんだなぁ、と感じた。

おかえりマルちゃん。「ただいま」を本当にありがとう。
約3時間、ずっと笑いっぱなしだったよ。
またいつか、きっと叶えてくれる「ただいま」を待っているね。

いなくなってしまったあなたへ

友人が失踪した。
彼女が「用事があるから出かける」と彼女と私の共通の友人に言い残してから、もう10日以上経つ。

小学校五年生のとき、私はこの地へ引っ越してきた。
そこで初めてできた友人が彼女だった。

彼女は少し陰を持っていた少女だった。
道徳の時間、家族について語ろうという議題の中、彼女は私には母親がいない、と言い、そして、泣いていた。

突如、田舎暮らしから都会へと移った私は、華やかな雰囲気に馴染めなかった。ふと気が緩むと住み慣れた地の訛りが出てしまうことが恥ずかしく、喋ることも少し躊躇い、なかなか自分を出すことができなかった。

転校初日に「友達になろう」と私に話しかけ、グループに入れてくれた女の子が私は少し苦手だった。その子は自分に逆らえなさそうな子達を自分の周りに集めて、その中でお山の大将になっているような子だった。
彼女もなんとなくそのグループに属していたが、グループ内で見下げられているような存在で、彼女もそれを理解して受け入れていたようだった。
これまでの生活でヒエラルキーというものが存在していなかった私にとって、その空気は得体が知れなくて怖かった。
彼女ともあまり関わりたくなくて、私はほとんど話さなかった。

梅雨入り間近の頃、ホームルームの時間に、市の交通局主催でスタンプラリー企画の公募のプリントが配布された。
その企画は、市内のさまざまな施設を巡り、そこに備え付けられているスタンプを押したり、クイズを解いたりするものだった。
まだその土地のことをよく知らなかった私にとって、その企画は新しい世界を開拓する冒険のように思えた。「面白そうだなぁ」とプリントを眺めながらも、瞬時に行くのは無理だと悟った。なぜなら私には誘えるような気心の知れた友人はいなかったからだ。

その日の帰りだった。
珍しく遅くまで教室に残り、一人で教室を出た。茜色に染まったグラウンドを歩いていると、後ろから声を掛けられた。彼女だった。

「ねぇ。よかったら一緒にスタンプラリー行かない?」

なぜ彼女は私がスタンプラリーに行きたがっていたことを知っていたのか、よく思い出せない。ただ、その時の彼女の服装髪型、少し緊張した声。それは今でも鮮明に覚えている。

私たちは、そのスタンプラリーを境に急激に仲良くなった。
彼女は漫画が好きで、私と同じく『りぼん』を買っていたこともあり、顔を付き合わせれば、ひたすら『りぼん』の話をしていた。彼女の家にはプレステがあって、授業が終わればすぐに彼女の家へ行き、彼女と交代で日なが攻略に勤しんでいた。年末の年越しも彼女の自宅で迎えた。

中学校で彼女と同じクラスになることは一度もなかった。新しいコミュニティで何人か友人ができた私は、彼女とは少し疎遠になった。彼女もまた別の友人を作っていたが、その友人が私の友人だったりして、彼女とはなんとなく緩く繋がっていたような気がする。

高校入学してからの約5年間、私の暗黒時代が始まったために一切彼女とは連絡を絶った。正直この期間は自分が何をしていたのか本当にあまり覚えていない。振り返ると、よく社会復帰できたものだと思っている。なんとか社会復帰したときには、いつの間にかまた彼女と一緒にいるようになった。久しぶりに会った彼女は相変わらず漫画が好きだった。会わない間に私とは違うジャンルの音楽も好きになっていて、一緒に最後のカウントダウンジャパン大阪にも行った。

彼女は大学を卒業したら留学したい、と言っていた。彼女はあまり大学を楽しめていないようだった。就活はする気が起きない、ということも言っていた。彼女の留学は、私から見て、モラトリアムの延長のように思えた。もっと率直に言うのなら『逃げている』と感じていた。留学直前の彼女は、勉強に身が入らず、日々をお酒に頼りがちになり、睡眠薬を飲むようになっていた。私は、おそらくこの留学は失敗するだろう、そう予感した。
その頃、毎週聴いていたくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンマツコ・デラックスがゲストで出ていた。マツコがリスナーの人生相談に乗るという企画で、彼女と同じような状態で留学に悩むリスナーに、マツコは「行くのは止めなさい」と言っていた。
でも、私は彼女に何も言えなかった。家族に資金を援助してもらい、手間暇をかけて手続きをして、走り出した留学という道に、わざわざ水を差して、彼女の機嫌を損わせる必要なんてない、と思ったからだ。

そのことを、当時付き合っていた人に話したら、ものすごい剣幕で怒られた。彼の言い分は「本当の親友なら、止めるべきだろう」ただそれ一点だった。もう本当にクソミソに言われたので、私もクソミソに言い返した。でも、本当に正しいのは彼だったことが分かっていたから、もう私の言うことはただの言い訳でしかなかった。彼とは結局、その後いろいろあって別れてしまった。

結果、彼女は留学に失敗した。
ホームステイ先で突如爆発して、何も持たず、身一つで帰国してきた。

それから彼女は引きこもった。負い目があった私は積極的に連絡を取ることが憚られた。それでもたまに連絡を取り、電話越しに話す彼女は、どうみても鬱病だった。「抗鬱薬飲んでる?」と尋ねても、家族から理解が得られなくて病院に行っていない、と言っていた。

精神疾患は家族が一丸になって取り組まないと治ることはない、ということを身をもって知っていた私はまずいと感じていた。無理矢理にでも病院に連れて行くべきかと悩んでいたが、周りから「彼女の人生の全てを背負えないなら、中途半端に関わるな」と止められた。

毎日の生活に追われる内にだんだんと連絡の頻度も落ち、数年経ったころにはもうほとんど連絡は取っていなかった。
そんな中、仕事の休憩中に突然彼女から電話がかかってきた。

「発作が起きて救急車を呼んだ」
「不安で仕方ない」
「まだ死にたくない」

いますぐ彼女の元へ飛んで行きたくなった。
でも、できなかった。

私は休憩時間いっぱいを使って彼女を宥め、とにかく明るく慰めた。落ち着いた彼女に、

「一緒に焼肉食べたいなぁ」

と彼女に言ったら、ちょっと体調が万全じゃないから無理かも、と返された。

「じゃあ今度家に行くから家で一緒にお肉食べよう」
「必ず行くから。待ってて」

それが彼女と交わした最後の会話だった。
約束は、果たせていない。

三十路手前で関ジャニ∞にハマった、と言ったらあなたは笑うだろうか。
今でもそらんじられる電話番号は、家族とあなたの家の固定電話だけ、と言ったらあなたは笑うだろうか。
あのとき話しかけて来てくれたあなたが本当にキラキラして見えた、と言ったらあなたは笑うだろうか。

帰ってきたら、一緒にお腹いっぱい焼肉を食べたい。

それまではどうか。
どうか、元気でいて欲しい。

ラジオのちから

なぜだかめっぽう気持ちが落ち込んでしまった。
特段なにかあったわけではない。
ミスをしたわけでも、仕事で怒られたというわけでもない。
ただ単純に、自分の力のなさを痛感しただけで、先は長い道のりだと途方にくれただけだ。

帰ってから、ラジオをつけた。
ナインティナイン岡村隆史オールナイトニッポン
途中ブランクも幾度かあったが、ナイナイ時代からもうかれこれ10年以上は聴き続けている。

ビタースウィートサンバとともに、岡村さんはいつもと変わらず、この一週間について吠えていた。
おかしくて、くだらなくて、つい笑ってしまった。

これから先、どうやって進むべきか道を見失ってしまったとき、ラジオを聴くことを覚えた。
スピーカーの向こうから聴こえる声は、いつだって私の味方だった。
パーソナリティと対等な位置にいたハガキ職人たちは、いつだって私のヒーローだった。

ラジオがなかったら私は、私でいられなかった。
私は、ラジオが大好きだ。

気がつけば、気持ちは少し上向いていた。

back number『All Our Yesterday Tour 2017』@日本ガイシホール

back numberのライブを観に行ってきた。

数年前の「back number?女子中高生がキャーキャー言ってるチャラチャラしたやつでしょ?興味ないわー」と言ってた自分に「おめぇ、それ数年後の自分にぶん殴られるぞ」と言ってやりたい。っていうか今言う。ばかやろう!!!!back number最高すぎるぞ!!!!!!

何がきっかけだったのかあまり覚えていない。

確か、テレビで観た『世田谷ラブストーリー』だったと思う。

彼女のことが大好きな彼氏が、今夜は何としても一発決めたいと思っていたにも関わらず、家が駅近すぎて「泊まっていきなよ」というタイミングを逃し、結局彼女を送っていくという、そんな男いねぇよ!でもいたら好き!!!惚れる!!!!!と一気に興味を持ってしまった。

それからすぐにTSUTAYAに直行して、アルバムを借りれば、「歌詞が天才すぎる……」「音もすごく良い……」と教科書かのように綺麗にハマった。ただ、掛け持ちで好きなアーティストが多い身分としては、アルバムは揃えたものの聴き込むことはせず、たまに引っ張り出して楽しむ、というレベルの好き具合だった。

そんな中、『ハッピーエンド』に封入されていた先行予約で当選して、念願の初ライブとあいなった。

今回のアリーナの会場はその昔行った、Oasis以来だった。スタンドの席からアリーナの真ん中らへんを眺めつつ、割と良い席だったんだな、と認識するとともに、この席で楽しめるのかと、一抹の不安を抱いた。

なぜなら、私の行くライブは基本的にライブハウスが多く、アーティストは肉眼で認識可能、圧倒的に距離が近い。距離が近いということは、自然にテンションも上がる。ということは、その逆も然るべきのはずで、これまたその昔、病み上がりに行った某国内スーパー頂点バンドのドーム公演の天井席で、いまいち乗り切れなかった過去を思い出していた。

しかし、ライブが始まればそんなことはまったくの杞憂だった。

私の隣の席には、60代くらいのお母さんと高校生くらいの息子さんだった。「息子さんの付き添い?仲良いなー」と思っていたら、曲が始まるともに、お母さんが楽しそうに曲に乗っている。そうか、お母さんがファンなんだ。少し驚いて、あたりを見渡すと、他にも年齢層高めの男の人、日頃邦ロックを主戦場にしているような男子高校生3人組などなど、まさに老若男女、それぞれが思い思いに音を楽しんでいた。

ライブの演出も冒頭からとても凝っており、映像に光に、スタンドだからこそ楽しめる仕掛けがいっぱいだった。ボーカルの清水依与吏が「前(の席)ばかりがいい、ってことじゃないからね」という意味がまさにそこにあった。

また、音響の良さにも驚いた。私の前方すぐが通路だったのだが、ライブが始まるとスタッフが1人、通路に駆け寄って来てしゃがみ込むと、あちらこちらと首を向けていた。すぐにもう1人のスタッフがそのスタッフへと近寄り、彼からもらった指示を手元にあったタブレットで操作していた。操作が終わると彼らはまた違う方へと走って行った。気がつけば音のバランスがぐんと良くなっていた。彼が操作していたのはおそらく音響のイコライザだろう。どこから聴いていても100%の音が届けられるよう、スタッフたちが仕事をしているのを間近で見られたのは、とても感動的だった。

依与吏さんのMCも大変良かった。話が面白いことはもちろん、彼の誠実な人柄が伝わってきたし、「今日来てくれたお客さんが誰かにback numberを薦めたときに、"えー、back number?(笑)"って嗤われないような、ファンでいて誇れるようなバンドでいたい」という最後の挨拶にグッと来た。

アーティスト活動なんて、自分がやりたいことをやる仕事だろうし、仕事とプライベートは別だろうし、でも、ちゃんとそういう風に考えてくれているのがとても嬉しい。

2時間40分の大ボリュームで幕を閉じた今回のライブ。

ライブで演奏した、これまでさほど聴いたことがなかったいろんな曲が、今とても好きになっている。本当に良いライブだったんだな、と思う。

ごあいさつ

本と音楽と映画が主食。

ラジオは生活のお供。

関ジャニ∞は生活の糧。

Twitterで書くのはあれだなー、っていうまとまった文章を投下します。