いなくなってしまったあなたへ

友人が失踪した。
彼女が「用事があるから出かける」と彼女と私の共通の友人に言い残してから、もう10日以上経つ。

小学校五年生のとき、私はこの地へ引っ越してきた。
そこで初めてできた友人が彼女だった。

彼女は少し陰を持っていた少女だった。
道徳の時間、家族について語ろうという議題の中、彼女は私には母親がいない、と言い、そして、泣いていた。

突如、田舎暮らしから都会へと移った私は、華やかな雰囲気に馴染めなかった。ふと気が緩むと住み慣れた地の訛りが出てしまうことが恥ずかしく、喋ることも少し躊躇い、なかなか自分を出すことができなかった。

転校初日に「友達になろう」と私に話しかけ、グループに入れてくれた女の子が私は少し苦手だった。その子は自分に逆らえなさそうな子達を自分の周りに集めて、その中でお山の大将になっているような子だった。
彼女もなんとなくそのグループに属していたが、グループ内で見下げられているような存在で、彼女もそれを理解して受け入れていたようだった。
これまでの生活でヒエラルキーというものが存在していなかった私にとって、その空気は得体が知れなくて怖かった。
彼女ともあまり関わりたくなくて、私はほとんど話さなかった。

梅雨入り間近の頃、ホームルームの時間に、市の交通局主催でスタンプラリー企画の公募のプリントが配布された。
その企画は、市内のさまざまな施設を巡り、そこに備え付けられているスタンプを押したり、クイズを解いたりするものだった。
まだその土地のことをよく知らなかった私にとって、その企画は新しい世界を開拓する冒険のように思えた。「面白そうだなぁ」とプリントを眺めながらも、瞬時に行くのは無理だと悟った。なぜなら私には誘えるような気心の知れた友人はいなかったからだ。

その日の帰りだった。
珍しく遅くまで教室に残り、一人で教室を出た。茜色に染まったグラウンドを歩いていると、後ろから声を掛けられた。彼女だった。

「ねぇ。よかったら一緒にスタンプラリー行かない?」

なぜ彼女は私がスタンプラリーに行きたがっていたことを知っていたのか、よく思い出せない。ただ、その時の彼女の服装髪型、少し緊張した声。それは今でも鮮明に覚えている。

私たちは、そのスタンプラリーを境に急激に仲良くなった。
彼女は漫画が好きで、私と同じく『りぼん』を買っていたこともあり、顔を付き合わせれば、ひたすら『りぼん』の話をしていた。彼女の家にはプレステがあって、授業が終わればすぐに彼女の家へ行き、彼女と交代で日なが攻略に勤しんでいた。年末の年越しも彼女の自宅で迎えた。

中学校で彼女と同じクラスになることは一度もなかった。新しいコミュニティで何人か友人ができた私は、彼女とは少し疎遠になった。彼女もまた別の友人を作っていたが、その友人が私の友人だったりして、彼女とはなんとなく緩く繋がっていたような気がする。

高校入学してからの約5年間、私の暗黒時代が始まったために一切彼女とは連絡を絶った。正直この期間は自分が何をしていたのか本当にあまり覚えていない。振り返ると、よく社会復帰できたものだと思っている。なんとか社会復帰したときには、いつの間にかまた彼女と一緒にいるようになった。久しぶりに会った彼女は相変わらず漫画が好きだった。会わない間に私とは違うジャンルの音楽も好きになっていて、一緒に最後のカウントダウンジャパン大阪にも行った。

彼女は大学を卒業したら留学したい、と言っていた。彼女はあまり大学を楽しめていないようだった。就活はする気が起きない、ということも言っていた。彼女の留学は、私から見て、モラトリアムの延長のように思えた。もっと率直に言うのなら『逃げている』と感じていた。留学直前の彼女は、勉強に身が入らず、日々をお酒に頼りがちになり、睡眠薬を飲むようになっていた。私は、おそらくこの留学は失敗するだろう、そう予感した。
その頃、毎週聴いていたくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンマツコ・デラックスがゲストで出ていた。マツコがリスナーの人生相談に乗るという企画で、彼女と同じような状態で留学に悩むリスナーに、マツコは「行くのは止めなさい」と言っていた。
でも、私は彼女に何も言えなかった。家族に資金を援助してもらい、手間暇をかけて手続きをして、走り出した留学という道に、わざわざ水を差して、彼女の機嫌を損わせる必要なんてない、と思ったからだ。

そのことを、当時付き合っていた人に話したら、ものすごい剣幕で怒られた。彼の言い分は「本当の親友なら、止めるべきだろう」ただそれ一点だった。もう本当にクソミソに言われたので、私もクソミソに言い返した。でも、本当に正しいのは彼だったことが分かっていたから、もう私の言うことはただの言い訳でしかなかった。彼とは結局、その後いろいろあって別れてしまった。

結果、彼女は留学に失敗した。
ホームステイ先で突如爆発して、何も持たず、身一つで帰国してきた。

それから彼女は引きこもった。負い目があった私は積極的に連絡を取ることが憚られた。それでもたまに連絡を取り、電話越しに話す彼女は、どうみても鬱病だった。「抗鬱薬飲んでる?」と尋ねても、家族から理解が得られなくて病院に行っていない、と言っていた。

精神疾患は家族が一丸になって取り組まないと治ることはない、ということを身をもって知っていた私はまずいと感じていた。無理矢理にでも病院に連れて行くべきかと悩んでいたが、周りから「彼女の人生の全てを背負えないなら、中途半端に関わるな」と止められた。

毎日の生活に追われる内にだんだんと連絡の頻度も落ち、数年経ったころにはもうほとんど連絡は取っていなかった。
そんな中、仕事の休憩中に突然彼女から電話がかかってきた。

「発作が起きて救急車を呼んだ」
「不安で仕方ない」
「まだ死にたくない」

いますぐ彼女の元へ飛んで行きたくなった。
でも、できなかった。

私は休憩時間いっぱいを使って彼女を宥め、とにかく明るく慰めた。落ち着いた彼女に、

「一緒に焼肉食べたいなぁ」

と彼女に言ったら、ちょっと体調が万全じゃないから無理かも、と返された。

「じゃあ今度家に行くから家で一緒にお肉食べよう」
「必ず行くから。待ってて」

それが彼女と交わした最後の会話だった。
約束は、果たせていない。

三十路手前で関ジャニ∞にハマった、と言ったらあなたは笑うだろうか。
今でもそらんじられる電話番号は、家族とあなたの家の固定電話だけ、と言ったらあなたは笑うだろうか。
あのとき話しかけて来てくれたあなたが本当にキラキラして見えた、と言ったらあなたは笑うだろうか。

帰ってきたら、一緒にお腹いっぱい焼肉を食べたい。

それまではどうか。
どうか、元気でいて欲しい。